![]() | ![]() クリックで拡大 | 解体途中の事務所。 昔は白い壁だったが、煉瓦の出荷が滞った頃に 在庫処分を兼ねて煉瓦を貼り付けたような 気がしたが詳細は忘れた。 普通に煉瓦の町としてのイメージアップも含まれるかと。 内装およびサッシ類がなくなり、もはや味気ない。 自販機は以前からあったが、解体業者のためなのか いまだに置いてある所を見るとまだ通電していそうだ。 それにしても、背後に工場がないために空が白い。 |
![]() | ![]() | 旧事務所。 国指定重要文化財だったりする。 前述の通り、以前は一般の人も見学することができた。 通常の客もさることながら、さらに稀ではあるが学校などの 団体客が来ることもあった。 元々は創業当時の外国人技師親子の住居兼事務所だったが 1年ほどして彼らは帰国し、完全に事務所となった。 事務所が別に作られてからは資料館を兼ねて残されることとなった。 工場閉鎖のあとに開館していたのかはあやしいけれど、 解体工事が始まってからは完全に閉館ということとなった。 いつか移築なり再管理なりでその扉がまた開く事はあるのだろうか? |
![]() トラック用通用口 | ![]() 仁徳?神社 | 正門より南へ行ったところに、トラックの出口専用となる通用口がある。 写真には写っていないが、左の門柱よりさらに左に国指定重文である ホフマン輪窯を採用していた旧工場の1基が残されている。 こちらも以前は見学可能だったが、今は入り口は閉ざされていた。 通用口の奥にもまた、事務所から同様に工場が見えるはずだった。 通用口の右手、木々のあるところには神社がある。 年始や創業祭の時などにはこちらで祭事が行われた。 祭神やちゃんとした神社名はうかつな事に失念。 工場が廃炉・解体されてしまった今、その意義を失ってなお 佇む様子からは非常に寂しさを感じてしまうのであった。 ついでに、レンガで造ったオブジェのような椅子のようなものもあったり。 |
![]() | ![]() | 大寄村道路元標。 煉瓦工場正門のやや北に設置してある。 大寄村の元標とはいったものの、これが立てられた当時には ここは大寄村と明戸村の境となっており、村の中心部からは 大きく外れている。 しかし、ここを南へ向かうことで楡山神社という由緒ある神社へと 続くために、大きな道の基点としては適切なのかもしれない。 余談となるが、このあたりの地名は上敷免といい 遥かな昔に租庸の税を免除された技術者たちの村だったそうな。 免税こそないものの、明治期には煉瓦製造のために技術者たちが やってきたことにはある種の運命的なものを感じる。 道路元標についてはTTS日本国道路元標、道路元標写真館、 ウィキペディアなどを参考に。 あなたの町にもいまだどこかで佇んでいるかもしれない。 |
![]() 備前渠下 工場のすぐ横を流れる備前用水に下りて一時の涼を得ようとするも 熱気で用水もすっかりぬるくなっており、思ったほどの涼やかさは得られず。 もっと上流側になると、煉瓦の使われた小さな橋がいくつかあったりする。 | ![]() 広がる田畑1 工場よりもやや南東にある開けた田畑。 この時期はすっかり青々とした稲で染まり、まだまだ田舎らしさを伺える。 この方向でここだけを見れば、会津などと大差ないようにすら見える。 |
![]() | 遠くに見えてくるなにやらあやしげな文字の建物 ちなみに、写真のさらに右にはカネヨ石鹸の工場があったりする。 カネヨンといってわかる人にならわかるかな? 画面の奥方向には農地に囲まれた国道17号がある。 |
![]() | 波動の里。 おもいっきりあやしい。 それでいて建物はなにやらおおざっぱな造り。 |
![]() | 正体は苺農園。 ビニールハウスもけっこうあり、特産物なのか? 彩の国マークも入っており、離れた所には大きな看板もあったので それなりに力をいれられている農園なのだと思った。 しかし何を持って波動なのだろうか・・・ それは謎なのだ。 |
![]() 広がる田畑2 国道17号バイパス上より見下ろす。 このあたりの国道沿いが開発されれば良いと思う気持ちと この光景に残ってほしいという気持ちと半々。 | ![]() 赤城山の稜線 最後の写真は北にそびえる赤城の山。 肉眼では凹凸がもっとハッキリと見えた。 これにて今日の散策は終了。 |