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旧煉瓦工場続・旧煉瓦工場旧煉瓦工場その3誠之堂・清風亭レンガ塀の刻印
20140629 

旧煉瓦工場その3 ホフマン輪窯と事務所



「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産決定のあおりを受け、関連がある深谷市も便乗して催しを行った。
その便乗の一環かどうかわからないが、日本煉瓦が失われてからはほぼ閉まりっぱなしの
ホフマン輪窯の見学ができるということで友人に急遽呼び出されて見物に行く運びとなった。


深谷駅。
煉瓦タイルで旧東京駅を模している。漫画「ネギま」の学校の元デザインでもある。



ホフマン輪窯6号。
詳細は未確認だが、1・2・3・5号はおそらく震災により損失。
4号は6号と共に残ったが、時代の流れによって使用停止、解体されている。
6号も震災の折に煙突が被害を受けて建て替えられている。
また現在の建屋は半2階建て相当であり、本来は3階建てだった。
煙突中央下のリング状の突起が本来の屋根位置にあたる。



上部にある煉瓦が欠けたような窪みは、2階から石炭をくべるための穴。


現在の建屋内部の柱と窯の外側。 入って左手。

入って右手。手前と二番目の照明の間にあるアーチは部屋の仕切り跡








旧事務所・現煉瓦史料館。
一般公開日は毎週金・日曜の10〜15時となっている模様。
日本煉瓦時代にはしっかり窓が開けられていたが、今は閉めっぱなしにされているために
もともとの老朽化もあって建物にゆがみが出始めてしまっている。
以前は裏手に旧専用線のレールが積み残されていた。


   
正面玄関からの廊下、突き当たりの北側の廊下、北側廊下から外(東方)を見る。
トイレは資料館時代に改修されているために現代的。


旧煉瓦製造のジオラマ。枚数を撮り忘れた。
画面奥が北になり、奥にあるのが4・5号、手前が6号、見切れているのは3号か1号。


 
ホフマン窯は一度火を入れたら24時間稼動しっぱなしなので、夜警が火の番をしていたようだ。
時計・ランプ・携帯消化水が携行されていた。


 
かつての煉瓦には何個かに1個ごと、製造所の刻印が押されたものが混入された。
指輪型は指にはめてポンポンと押していったのだろう。
桜の文様のものは小菅集治監のもの。今で言う刑務所作業製品。





専用線関連と、輪窯での石炭をくべる道具など。
レールは左が日本製、右がベルギー製。真ん中は失念。
馬によるトロッコ輸送もあったために、蹄鉄も用意されていた。
犬釘は名前の通り、耳垂れ犬の頭のような形をしている。


 

製造された煉瓦のサンプル品か。写真のものは廃業が目に見えてきた頃の主製品。
少々の縁があるために懐かしみがある。
欠け・風合いのあるキュリアス、一般品、穴あき、それに縦横高さのいずれかごとに二分されたハーフサイズシリーズ。
レリーフ調のものは出自などわからないが、もう1品並べられていた。



展示パネル。専用線が走る往時の備前渠鉄橋。
奥には4・5号の2本と、1・2・3・6号の4本の煙突が並び、とても貴重な1枚だと感じられる。
現在と違って草木が目立たず、ひらけていて広々として見える。



展示パネル。昭和初期頃、4号(中央)と6号(左奥)窯が稼動している様子。
4号の手前には旧事務所、さらに手前には専用線のレールと、そのさらに外を歩く馬が見える。
右に見える窓のある小さな建物は変電所。6号方向へ伸びる道は新井橋へと続く。
新井橋が何代目なのかは知らないが、昨年に建て替えられている。
かつては新井橋周辺では養蚕も盛んで、市内南北の主要道として栄えていたことだろう。
写真の下端は元小山川。今は土手を築かれ、より北方に位置している。


 
放置されていた日本煉瓦製品。廃業直後などはまだ多くの商品がパレットにのったまま敷地内に残っていた。
日本煉瓦の社章がつけられたオブジェクト。今は失われた、敷地内の神社周りに置いてあったもののような気がする。
社章を入れた上で新たに作るようなものでもないし、そうだとしてもこんな隅には置かないだろうから。





変電所。扱いは小さいが国重文。



大寄村道路元標。
大きな写真で再度。すっかり草の中。



上方のパネルにあった、備前渠鉄橋の今。
遊歩道「あかね通り」の一部であり、欄干がつき、アスファルト舗装がされてしまっているために
まったく重文らしさがなく、ただ足元が古いだけの橋にしか見えない。
橋台はしっかり煉瓦製。このすぐ南にある用水路にも小さな煉瓦のアーチがある。

写真に収め忘れたが、旧日本煉瓦の北方には煉瓦製の壁があるが、以前にはひび割れたままだったものが
ここ何年かのうちに修繕をされ、とりあえずは塞がれて見栄えがよくなっている。
操業時より、すでに煉瓦の壁は一部しか残っていなかったが、ボロボロのままよりはずっとよい。

20140711

番外・路傍の煉瓦


煉瓦工場から伸びる、かつては主要道だった小さな県道の近くの畑にパレットにのったままの煉瓦が放置されていた。
ほぼ1パレット揃いの形で、横に2パレット並んでいる。



短くても8年、長ければ10年以上も風雨や陽光を受けながらも、今なお丈夫に残る結束には日本煉瓦製造の刻印が入っている。
この結束や積み方には非常に懐かしいものがある。
当然、建材などになる煉瓦そのものは、至ってなんということはないという顔をしている。


見慣れない黒い結束はなんだろうとよく見てみたら、こちらは三河産のもののようだ。
具体的にどこの工場によるものかまでは判別つかない。

煉瓦工場跡地からそれほど離れていないとはいえ、全く想定外の所にあるものだから驚いた。
ガーデニング用や畑の境界線を築くために買い付けたという感じでもないが、日本煉瓦以外の物も置いてあるのだから
工場ではなく店舗を経由して購入してそれきりという線も拭えなくもない。
とにかく使途不明ではあるが、製品状態のレンガが工場跡地や資料館でもないようなところに残されているとは思いもよらなかった。

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