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奥飛騨旅行編

7月16日


飛騨温泉口駅の囲炉裏

16・17日とエキミさんに連れられて岐阜県への旅行へと行って来た。
朝から雨の降る中で国道254号線をひた進み、途中道の駅で休憩を入れつつもあれよあれよという間に松本へ。
254号は終点となり、北・中央アルプスの山脈間を抜ける西へのルートになる158号へと乗り換え。
岐阜県内に入ってしまっては夕食・朝食の確保が難しいと思われるために今のうちにスーパーで買出しを済ませ
梓川を横目に安曇野を上高地・安房峠方面へとひたすすんだ。
予定では安房峠の下道である旧道の峠道を行くはずであったが、雨の為に見事に閉鎖。
止む無く、現状唯一のルートである安房トンネルを進むこととなった。
さすがに山中を真っ直ぐに突き進むルートだけあり、あっさりと峠を抜けて岐阜県入りとなった。

駅外に置かれていた車両

トンネルを抜けてすぐ、北へ伸びる471号線へと乗り換えてまた道なりに延々と進むことに。
当初の目的地のひとつである、神岡鉄道を目指す。
471号が並走する高原川では、雨によって水かさがだいぶ増していた。
川沿いにあるキャンプ場や露天風呂と思われるところも、いくつかは島が半ば沈んでいるようだった。
地図で見たときに思ったほどには距離がないままに神岡へと到着。

おくひだ1号
2号もあるが操業停止のまま
その任を終えるのだろうか
今年11月30日をもって廃線となる神岡鉄道

その岐阜県側での起点となる奥飛騨温泉口駅にて車を降りることとなった。
駅に併設された資料・休憩室のようなところには囲炉裏が。
神岡はかつてイタイイタイ病で問題になった町だったらしいが、今ではスーパーカミオカンデによって
新しい町へと変わっていく最中なのであった。
14・15日と神岡鉄道を利用した鉱山・カミオカンデにちなんだイベントとしてGeo Space Advectureなるものが
実施されており、その参加者たちが参加説明を受けていたりした。
この駅で鉄道車両が来るのを待とうとしたが、単線・単行の車両1台が路線を往復するだけなので
待ち時間がまだまだ随分とあるために、先にある神岡鉱山前駅まで行くこととした。
途中にある大きな寺社が実によい雰囲気をかもし出していた。
トンネル状の階段を抜けた先にある駅舎で車両到着を待つこととなった。
駅に到着したおくひだ1号には先ほどのGSAイベントの参加者達であふれていた。
おくひだ1号のおもしろい特徴として、車内に小さな囲炉裏があった。
神岡の町内を少し走って後にし、鉄道の終点を目指して国道41号を北上した。
神岡軌道なる、現在の神岡鉄道以前の廃線跡も見るつもりでいたものの、
こちらは結局わからず終い。
そうこうしているうちに神岡鉄道の(こちらからみた)終点である猪谷駅へと到着。
JR線との乗り継ぎ駅であり、駅舎自体はJR東海のものとなっている。
少し遅めの昼飯をとるためにすぐ北にある道の駅細入まで北上。
こちらはぎりぎり富山県であり、土産物も飛騨・越中のものが混在していてやや面白かった。
引き返すように国道41号から360号を南下し、再び岐阜県へと戻っては神岡鉄道を後にすることとなった。

駅舎入り口にはスノコによるバリケード
駅構内には取り残された列車が。
宮川・高山本線と並走するように360号を南下し続けるうちに、何度か横目に見えたり交差をしている
高山本線に異常が見受けられるように。
本来あるべきはずの線路がなくなっていたり、線路が草で覆われたりしていた。
2004年10月におきた水害によって一部の線路・橋梁が崩れ、そのために区間運休をしているとのこと。
修復が必要な箇所では路線の引きなおしや地盤の確保のために線路が撤去されたのだろう。
形は残ったままに草が生い茂る様子などは、まるで廃線になってしまったかのようでもある。
その中で、打保駅には退路も進路も発たれて止む無くとりのこされただろう2両の列車が寂しく佇んでいた。
数十メートル先にあるスノーシェッドにすら入れられずに風雪にさらされているだろうその姿はあまりに物悲しい。
現状では死んでいる区間ではあるものの路線自体は生きているためか、鉄道車両の通るはずのない路線上で
変わることなく赤く光り続ける信号の存在が、廃線ではないという異彩の証明を放っていた。
続けて宮川を下るように走っていくと、運休路線の端である角川駅への看板が。
ルートからは一度逸れるものの、ほんの数百メートルなので寄り道をしていくことに。
ここで駅員の人と少し話しをした後に、白川村を目指すべく再び国道360号へと戻った。
が、国道に戻ってすぐになにやらいやな看板がちらほら・・・
それでもなお白川村へと距離をつめるべく進んでいった先で我々をまっていたものは
山道の中、完全に封鎖されたことを示すバリケードだけだったのだ。
雛見沢へ他県ナンバーの車が入るのは容易ではないな、等と冗談を言いながらも
止む無く来た道を引き返し、ひたすらに長いルートを選ばざるを得なくなった。
夕闇も迫ろうとしている中、右から左から、おあつらえ向きにあざわらうかのように
甲高いひぐらしの音が我々を包み込んでいた。

封鎖された国道360号
国道41号を南下し、飛騨古川の道の駅で休憩を兼ねてルートのチェック。
ロスタイムを埋めるべく最短のルートを見てみるが、それでもほんの少ししか変わらなかった。
我々と同じように富山側から来て白川郷へと向かう人がいたが、やはりまた同じように
ルート選択肢の無さにとまどっているようであった。
ここから、県道90号を通って国道158号へのわずかばかりのショートカット。
岐阜県内では思い切った直線のトンネルによるバイパスが数多く、ここもその一つであり
随分と助かる思いをすることとなった。
158号に合流、そのまま進んで道の駅荘川で本日最後の休憩。
温泉・足湯があるようだが有料であることとなにより時間が遅かったことで休まることはできず。
インターネットを利用した観光・道路情報のシステムがあったので天気と道路情報を調べようとするが
サーバー側に問題があるのか肝心な情報のページへと接続することができなかった。
不安が残る中、一路最後の一本道である国道156号を北上して白川村へと歩を進めた。

夜10時も過ぎたころに白川村へと到着。
道の駅にて停車をし、ここを今夜の宿とすることとした。
雨の中、テントの設営場所をどこにしようかと道の駅の裏手に出たら
なんとまあわかりやすいことに前原屋敷があるではないか。
さすがに良く似た別の建物だろう?などと思いつつも手元にあった資料で照合をしてみると
見事なまでにそのものであった。
さっそくの雛見沢っぽさに胸おどらせながらも今夜の宿作りにいそしむのであった。

テントを組み上げ、水溜りのできないような箇所を選んで設置したものの
どうにも雨足が強くなってきたために急遽場所を移動させ、屋根のある場所へと退避。
強雨と夜間ということもあって特にすることもなくなったので就寝することとなった。

7月17日


前原さんち
夜中にテントの下に水溜りができている事によりエキミさんに起こされ
急遽テントを少し移動することに。
ただでさえ強かった雨がこの間にさらに強くなっており、テントの場所を移動させておいてよかった事を
しみじみと感じさせたのであった。
朝6時過ぎに再度目を覚ますと、極度の増水によりダムの放水が行われていた。
あまりの雨の強さにしばらくの間まどろみ続けて時間を無為に過ごしていった。

工事現場
朝九時を過ぎ、雨が止むとまではいかないものの、だいぶ落ち着いてきたので行動開始。
昨日に買っておいた朝食を済ませ、テントを撤収していざ雛見沢探索。
とはいったものの、帰りのことも考えると与えられた時間はそんなには無かった。
早速、前原屋敷を改めて検証・確認をしていると、すぐ脇の河原もまたひぐらしで使われている事に気づく。
こちらも角度や山などを検証して確認をすませた。
ちなみに、前原屋敷はゴミの処理施設かなにからしく、たとえ中にアトリエがあろうともとてもじゃないが
家と呼べるサイズではないほどの大きな建物であった。
あの家の2階の窓に小石を当て続けるのは相当至難だぞ(謎)
ゲーム中での背景としては、実物よりは小さく見えるような角度や構図であることに感心せざるを得ない。

また、今回撮影はしていないものの道の駅の向かいにある八幡神社が作中で祭具殿として
使われていたりもする。白川郷には3つの八幡神社があり、季節ごとの祭事をそれぞれが受け持っているようだ。

某診療所
車でいわゆる合掌集落ではないほうの集落を回って景色のチェック。
観光地である部分からは外れているだけに、さすがに怪しいか?
これまで特に書いていないが、今回も至るところで郵便局の風景印を集めていただけに
こちら側の集落で郵便局を見つけられたので良かった。
合掌集落ではないとはいえ、いかにもな田舎の(来訪者ゆえに感じる)良い雰囲気に満ちた場所だった。
時間もなくなってきたのでこちら側の集落を離れ、合掌作りの集落へと向かう中、あの診療所を発見した。
手前のテントこそないものの、本当にそのまますぎてあっさりとしすぎている。
今回は気づかなかったので診療所の手前しか確認していなかったが、裏口側や脇などにも
作中で使われた場面が非常に多くあったようである。
事前確認をしていなかった事が悔やまれる。

朝の待ち合わせ場所
合掌集落を往復し、ここでももちろん風景のチェック。
確実にわかったのは園崎家と古手神社、そして朝の待ち合わせの場所だけだった。
園崎家は白川郷の観光名所として普通に有名な家で、入場料を払えば中にも入れるのだが
今回は駐車と時間の都合でパス。
劇中で古手神社とされているところもまた八幡神社の一つ。
ここの脇の道が劇中でのレナとの待ち合わせをしている場面で使われている。
劇中ではパイロンで駐車禁止を促しているが、現在では工事用の小バリケードに変わっていた。
他にもそれっぽいところがあったものの、断定はできず終い。
診療所同様に、少し離れたところなどに劇中背景などが点在しているようだが
時間がない事と事前確認が足らなかった為に、これらも確認することができなかった。

最後に再び道の駅へと戻り、お土産の購入ついでに併設された資料館を見て回った。
本来は入場200円のところが、現在は無料になっているようだった。
茅葺き屋根の合掌作りといっても、単純な造りなのかとあなどっていたら
これがまた随分といろいろと細かく、1件たてるのにも、茅葺きを張り替えるのにも
村総出でそれぞれの家に当たるために雛見沢的な団結ができるのも納得がいった。
こうして、白川村を後にして帰路となるのであった。

国道156号を南下していくと御母衣(みぼろ)ダムが左手に見えてくる。
当然ながら昨晩も通っているのだが、夜間であることと雨の為に特に意識することがなかった。
ここのダムの建設にあたり、「御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会」なるものが結成されていたあたり
ひぐらしの劇中ではよく知られる「鬼ヶ淵死守同盟」の元なのだろう。
御母衣湖は非常に大きく長く、しばらくの間視界に留まり続けていた。

行きと同じく荘川の道の駅で一休みをした後、高山市街を目指して158号を東へと進む。
町村合併により、現在の岐阜県の北部のほとんどは高山市か飛騨市になっているのだが
あまりに広すぎるために旧地域名称を使わないと現在地などがまるでわからなそうだ。
10数年ぶりにきた高山市街だが、陣屋の脇などをそのまますり抜けて長野県を目指す。

安房峠では行きと同じく雨の為に下道が通行止めなので、帰りもトンネルを利用して一気に進む。
あまりにも雨が激しかったためか、上高地入り口のトンネルすらも封鎖されており、
一部の人は上高地から入り口まで歩いてきて、そこからタクシーに乗っているようだった。
下手をしたら昨日上高地に来ていた人で、今日は帰れない人もいた事だろう。

松本に入ってからは254号をまるまる使って、途中道の駅に寄りながらの帰りとなった。
最後の2時間くらいはすっかり眠くなってしまっていて、ドライバーであるエキミさんには申し訳ない限り。
2日間とも雨に見舞われ、通行止めや土砂崩れの跡などやや受難気味であったのがまた面倒であった。
道中はともかく、当初の予定通りに帰ってこれたことはなにより良かったのだろう。
最終的な走行距離は約780kmとなった長旅であった。

 
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