TOPメニューKG板

鹿島鉄道編


出発前日、毎度ながらもEkimi氏より誘いがあって突然ながらの茨城行きが決定。
もっとも、このごろは千葉方面に行きたいと思っていたところへ「銚子か霞ヶ浦のどっちかに行かない?」
といった内容だったためにすっかり釣られてしまったカタチなのだが。
それでも東へはあまり行っていないこともあって渋らずに承諾。
今回は、今年3月31日で廃業となる鹿島鉄道を見に行くという目的だ。

出発予定はEkimi氏が自分を拾い上げる形で、我が家発7時という事になっていた。
そう遠くないということと、どうせあまり早く設定しても誰かさんが寝坊するだろうということで
余裕をもっての時間設定だ。
夜のうちに寝ていたせいもあって、夜中までチャットをしていたりなんだりで気づけば6時を回っている。
朝食や出発の準備をすませ、あとはEkimi氏を待つばかり。
そして7時。Ekimi氏から連絡が入る。家に着いたのかと思って確認をすると
「ごめん今起きた」との事。出発前からして掴みはOKだ。もちろんこうやってネタにする。

8時、今度こそは到着の連絡を頂いていざ出発。
ミコシ街道こと国道354号で群馬を抜け、国道125号を乗り継いで茨城中央へ進むというルートを取る。
途中に館林の街中を過ぎて行った。
先月に氏と一緒に夜にこのあたりまで来たときには随分と迷ってやたらと時間がかかったものだが
ただの通過地点としてみたら随分あっさりと来れてしまった事に二人して驚いた。
群馬県から出たら栃木県入りか、なんて思っていたらそこは埼玉県。 地図
だいたい利根川で県境が区切られているものだとばかり思い込んでいたために勘違い。
進路方向左手には渡良瀬貯水池が広がっているのもまた思い込みの一因。
このあたりでは熱気球もいくつか飛んでいたり着陸していたりした。

 
写真左・左にジャスコ、中央に筑波山と完璧なロケーション(謎)。写真右・北条駅跡地。あきらかなホーム跡に、おきまりの線路跡地上の遊歩道。

地味にまだ埼玉県な新古河駅を過ぎ、茨城県は古河市へと進入。
風景印のために郵便局を探したりしつつ125号へと乗り換える。
この頃すでに11時。当初の予定では目的地近辺にいるとかなんとか。
その後は何事もなく下妻市へ。下妻といったら下妻物語。
下妻物語といったら二十日はジャスコ。
浅いとはいえ妙に入り組んだところにある中央郵便局に利便性の低さを感じつつ再度125号を東進。

つくば市に入り、ここでもやはり郵便局へと向かう。
郵便局に限らず、名の知れた都市のわりには辺鄙なところにばかり官公庁や主要施設が
集まっているように見受けられるのは気のせいだろうか。
そのまま郵便局のすぐ近くにある旧北条駅の跡地たる休憩所による。 地図
ちょうど遊歩道の桜並木の手入れのための消毒が行われており、
桜の幹は硫黄によって黄色く染め上げられていった。この独特の臭いといったらもう。
ホーム跡の向かいの家々の土台も、おそらく別のホーム跡を利用しているようだった。
遠巻きに見えていた筑波の山はもはやその手の内に自分たちを招きいれていた。
遠くから見ると平地にたたずむその姿は立派なのだが、間近で見てしまうと所詮はたかだが標高877米の丘。
以前に登ったこともあったが、やはりこの山は遠くからそのシルエットを眺めるに限る。

 
写真右・西側となる右奥には筑波山が見え、霞ヶ浦の平らかさとあわせていい光景となる。
土浦市に入り、ここで国道6号線へと乗り換える。
それにしても、このあたりのカスミスーパーはなんだかデラックスなイメージが強い。
石岡の駅で休憩をして国道355号へさらに乗り換え。
石岡の駅は異なる路線の駅がそれぞれ隣り合ってできており、一応後付けっぽく両駅舎は繋がっているのだが
これがなんとも滑稽に見えてしょうがない。
そういった駅・路線は他の地域にもあるのだが、はじめからひとつの駅にしておいたほうがわかりやすいね、
などと素人目には映ってしまう。実際には各会社間の問題とかもあるから簡単にはいかないのだろうけど。
ちなみに、ここ石岡駅からが本命の鹿島鉄道。
線路をまたぐ連絡通路の上からは統一感が無いながらもそれがまた味である鹿島鉄道の車両が
何台かその体を休めているのが見受けられた。
そのうちの一台にはボディに「がんばれかしまてつどう」の文字があった。
このまま、霞ヶ浦を沿うように走る鹿島鉄道を併走する形で355号を進んでいく。 地図

桃浦駅の手前、355号の旧道となる一時的な分かれ道にて霞ヶ浦とその手前に延びる鹿島鉄道を見る。 地図
天気が良いということと、鹿島鉄道廃業の知らせの直後ということもあってこの付近では
カメラを構えた人がわりと多く見受けられた。
線路のさらに奥には霞ヶ浦に沿っての整備された道もあったりする。車も通れるのでそれなりの広さ。
なお、霞ヶ関と勘違いしたらめーっなのよぉー、とは言っておく。

 
写真左・玉造駅ホーム。写真右・鉾田駅敷地内にあった線路用自転車。

歩を戻して355号を進んでいくと、霞ヶ浦を離れるように玉造町の駅へ。 地図 ここで特記すべきは駅舎内にある「やすら樹」というそば屋のそば寿司。これに限る。
端的にいってしまえば中身がそばの稲荷寿司なのだが、これがまた実に美味い。
といってもこの味に仕上げるまでにはダメになった試作品も多く、随分苦労をしたそうな。
昼食ということで力そば一杯にそば寿司を2つ食べたのだが、正直言ってしまうとうどんやそばを頼むより
そば寿司を4-6個程度頼んでそればかりを食べるほうが良い。
あまりに気にいったので後でまた食べようと持ち帰り用も購入。
ちなみに、鹿島鉄道の廃業に伴って駅舎での営業も3月31日まで、その後の移転営業の予定はないとのことで
さらにいえば一日に作る数も限られているので今後に食べる機会があまり無さそうなのがひどく残念だ。
万が一営業中にこの近辺に来ることがあったらぜひ足を運ぶことをお勧めする。

商店街のわき道のようなところから入って、名前も知らない林道やら県道8号やらを通り抜けていざ終端の鉾田へ。 地図 1時間に1・2本しかこない車両(電車でもないし列車でもない、なんと呼んだらいいんだ?)をまってしばらくの時間を過ごす。
駅の南には田や荒れた湿地のようなものが見受けられた。地図を拡大してみるとなるほど湿地帯なのが伺える。
使われていない線路上には線路を走る二人乗りの自転車があった。
非常に心くすぐられて乗りたくてしょうがないが、勝手にそんなことをするわけにもいかない。
基本的にはトロッコと同じで、ハンドルブレーキがついているのが特徴的か。
やってきた車両の頭には、なにやら舟や太陽をかたどった電飾が添えられている。
3時時点ではまだ日が明るいために点灯はなし。

近くにある鹿島臨海線の新鉾田駅をちろっと見てから、ようやく復路として西へ戻ることとなった。
帰り際、横目に見た鉾田駅から出る車両には煌々と輝く電飾を見ることができた。
この時の車両だったか記憶が薄いが、ここまでに見た車両の中には石岡駅でみかけた
「がんばれかしまてつどう」の車両が見受けられた。
この路線には縁がない身とはいえ、なんとなしに感慨深いものがあった。

 

行きと同じ道を戻って再度玉造の駅へ。
さきほどの車両と同じように、駅もまたいろとりどりの明かりで着飾っていた。
駅舎からホームへの通路と、ホームにある小さな丸太の待合所もまた奇麗に点灯していた。
しばらくすると、上下線からともに電飾の施された車両がやってきた。
廃業前ゆえのドレスアップかと思いきや、展示写真などを見るに以前からもあったようで
なんとも粋なはからいだと感じた。

その後は下妻と古河で少しの寄り道をしただけでほぼまっすぐに帰ることとなった。
時間帯のせいもあるが、行きに随分と時間がかかった分、帰りは随分と早く帰ることができた。

TOPメニューKG板