群馬太田市歴史散策

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20140918

太田市歴史散策

昨日に群馬県太田市にある歴史的なものをいくつか見てきた。


新田荘歴史資料館

まずは新田荘歴史資料館。
稲村ガ崎にて、海中に太刀を投げ入れて徒渉祈願をする新田小太郎義貞の像が手前にある。
小学生のころに遠足かなにかで来た覚えがあるが、そのときの記憶といったら新田の名称と埴輪くらいだった。
新田荘というのはここよりもう少し北にあったもので、そちらのほうに新田の地名は今に残る。


ミニチュアがあるとつい3DSで立体写真を撮りたくなる。新田荘の再現ジオラマ。

受付で入館手続き。太田市立資料館・記念館共通入館券という割安チケットがあり、このあとに行く満徳寺も
対象となっているのでそちらで入館した。その他の2館はここからいくらか離れているので今回は行かない。
有効期限が1年というのは長くて良い。

 
大河ドラマ「太平記」の撮影のために作られた赤糸威鎧と色々威鎧のレプリカ。実際に着用されて使われた。
これとは別に本物の腹巻鎧が資料展示されていたが、こうして間近でみることで日本の甲冑の作りが見えてくる。
残念ながら館内のうち展示資料は撮影不許可だったので、撮影できるのはエントランスであるここまで。

展示物は記憶どおり、歴史を順繰りしての埴輪からはじまる。
どうにも埴輪というやつは腕と腕に付随するものが極端に小さい。
鷹匠の埴輪であればその短い腕に小さな鳥がのっているだけだし、農夫であればあまりに小さい鍬を担いでいる。
顔ものっぺりとして横長楕円の目口に鼻がのっているだけでだいたい共通している。
動物の埴輪というのもいくつかあり、とくに馬は有名だろう。TVでもかつてはひんべえというキャラもいた。
この馬もまた適当で、関節も馬蹄もない筒状の脚などはあまりに適当といえる。とはいえ、グラフィカルなデフォルメではある。
しかし、これが馬具となるとなぜか話が全然違う。なぜか馬具一式についてはやけに詳細で全身にわたって綺麗に施されている。
1/6馬型ハニワ・ディティールアップキット、でもあったのかってくらいにこれだけはよくできていた。
白鳥のハニワもあったが、首と頭部以外は想像復元された形で、やっぱりディティールがない。
埴輪は本当に立体写真を撮りたかった。

次に中世、卒塔婆みたいな石塔や太平記・新田義貞関連の資料が並ぶ。
室町時代だかの手斧(柄付き)と鍬先がやけに印象強かった。当時の鉄器が現存しているのはなんだか嬉しい。
義貞や太平記関連の紙資料は、そのほとんどが江戸〜明治期のものであり、現代からすればそれでも古いものではあるが
やはり当時ものではない想像上の作品であるのは残念だが致し方ない。
歴史の教科書などでもよく、特定の場面や人物を描いた図絵をさぞ実際がそうであったかのように紹介しているが
だいたいが後世のものなので、あくまで「※写真はイメージです」のようなものであるとして見なければならない。
ここには先に挙げた腹巻鎧が飾られており、日本の鎧というものの理解に役立った。
兜や大袖はあっても、篭手・具足がないためかやけに軽そうに見える。西洋甲冑と違って、これなら身軽に動き回れそうだ。
腹巻とはいっても、胴丸に近い作りで、というか正直違いがわからない。

近世のコーナーではすぐ近くにある長楽寺の品々がならぶ。独鈷杵ならぬ独鈷鈴や、各種の坐像が印象に残る。
坐像については子供ならトラウマになるかもしれない。とくに天海大師の像は皺などが細かく刻まれており、
サイズこそ小さいもののまるで息をしていそうな精巧さがある。
その横に別の天海像もあったが、そちらは仏像のようないかにもな作り物で、顔も似せる気が無いようだった。
三十六歌仙の絵板は思ったよりも大きく、これもやや印象的。伊勢と赤人の2枚しか展示されていなかったが他も見たかった。
間引き絵馬はそれほど凄惨な感じは受けなかったが、そういうことがあったということは習っている。
ねずみ除けの猫絵というのはまったく知らなかったが、作者が同じながらもどれも違った愛嬌ある猫の絵が3点あり
もしかしたら明治以前の古い家でならどこかよそでも残っているかもしれないと思った。

一般入館料200円と、一見安いようだが展示スペースの広さ=展示量=見学時間としてはちょっと高め。
維持手数料として考えればそういうものなのだろうけれど、少し物足らなく感じた。
埴輪や鎧などはしばらく眺めていられるので、中世のコーナーにもう少し立体物の資料が多ければ良いと思う。
眼鏡を持ってくるのを忘れたので、文字資料や詳細が見えにくかったのは失敗した。


世良田東照宮

次に資料館と隣りあっている東照宮へ。
かつての日光東照宮のそれを移築したものであり、もともと徳川氏の由来の縁があるので扱いは大きめ。
毎年年越し・初詣の際には賑わいを見せる。

人形代を使った祓い清めや拝観など(共に各300円)が気になったが、今回ここは主目的ではなく時間もおしていたので短く観覧して後にした。
敷地内にはいわれのある古井戸や鉄塔など、いくつかの歴史的建造物や遺構なども目立っている。
県道沿いに見える隣の長楽寺の門がまた立派なのだが、やはり隣にある小学校の下校時刻と重なってしまい
子供を除けて撮るほどの余裕もないのでこれも後に送った。


縁切寺満徳寺

最後に、徳川氏発祥の地にある満徳寺へと来た。

こちらは徳川家との縁もあって、幕府が存続している間はその庇護を受けていたが、幕府が倒れ明治になると運命を共にして
廃寺となってしまった。寺にあった品々は近隣住民によって永く保護され、今の資料館設立に至る。
こちらも写真撮影はNGだが、規模がとても小さく、だいたいはサイト上にあるとおりの展示品。
目をひいたのは秀忠他の位牌や、駕籠(これも撮りたかったし乗りたかった)、明治43年の利根川氾濫の際に遭難して
助かった女性が奉納した絵馬だか。あとはやっぱり縁切りのトイレ(笑)。
縁切りだけでなく縁結びも付け足してあるのは現代的だが、諸物悪縁を切って良縁を結ぶとあれば縁起もよかろう。
今回は共通券で入館したので実質100円だが、通常200円はさすがに高い。ここに来たのならそのついでに
復元寺院および県道をはさんで向かいにある永徳寺も見ていくと良い。

今回は時間が遅かったので資料館を見ただけで、復元寺院のほうは見れなかった。
しかし、ちょうど珍しい花が咲いているから見ていっておくれと案内され、白い彼岸花を見ることができた。



奥は復元寺院の建物。
せっかくなのに花が白飛びしてしまっており、もう少し枚数を撮っておくべきだった。


とまあ今回はこれにて退散とあいなった。
時間があればもっと細かく観察したり、もっと別の周辺散策などもできたことだと思う。


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