2009年文京区散歩

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12月の10日に友人らと東京へと行く機会があり、その折に文京区を歩いて来た事の記録です。
文中に「*」のついたリンク先は、別窓表示でのbingの地図表示となっています。

 

意匠は線路上からの町並み
サンシャイン60やイケフクロウなど

 旅行の決定前、風景印散歩という本を見ていたので、まずはその中にあった文京区文学散歩コースというような回をトレスしてみようと思ったのでした。
 本来の目的趣旨は、E氏の宝くじ購入とそれに伴う東京めぐりだったので、まずは地元駅からJR池袋駅*まで。 都内に入ってから一度別行動をとり、後に合流するという手はずだったので、護国寺*目指して先に一人大塚*で降りるつもりだったのですが、N氏が当日の行動を特に決めておらずに付いてくると言う事になったので、予定を変えてE氏が降りる池袋駅まで同行。出発が大分遅れていたので、駅到着時点でもうお午直前といったところでした。東口へ出て池袋チャンスセンターに寄ったところでE氏とは一時お別れ。

 N氏は唯一個人的に寄りたい店として池袋のヤマダ電機2店があるというのでまずはそこを見てくることになりました。LABI1にはガンダム専門のフロアがあるということで、あまり期待はもたずに付いていったのですが、ここは思った以上には頑張った店内プロモーションをしていたのと、圧倒的な商品量に流石に納得しました。続いて元・三越デパートの日本総本店へ。こちらでは特になにするでもなく店内の広さに圧倒され(デパートの建物そのままなので)読み取り機で読み取りができなくなったポイントカードを更新してもらって退場。

 ヤマダを出てすぐ、これから駅から離れていくので食事をとるなら今のうちということになり、そういって間もないうちに目についた「石焼つけ麺」の看板に惹かれてつけ麺岡崎池袋店*で昼食ということになったのでした。値段は800-1000円と少し高いけれど、熱々かつそれぞれ面白いスープでおいしく頂けました。ちょうどこれからしばらく歩くことにもなるので、いいエネルギー補給にもなったかと言う事で文京区へ向けていざ出発。すぐ近くにサンシャイン通り郵便局があったので、予定外ながらもせっかくなので押印。

 N氏のケータイGPSを借りて、南下すべく歩を進めます。わかりやすい通りに出ようと少し東へ行き、サンシャイン60*を横目にしていると、道の向かいに豊島局が目についたので、これも予定外ながらも立ち寄って押印。すぐ近くに来るまで気付いていなかったので横断歩道を余分に往復するはめになりました。豊島局の対面には首都高速の東池袋インターがあります。過去に何度かこの付近を歩いているはずなのに、ビルとビルの間に引き込まれるように存在するインターには不思議さと違和感を感じ、都内だなあということをより強められたのでした。

_  造幣局の脇を南下するように進むと、右手に巨大なビル(といってもすぐ近くにそびえるサンシャインよりは下ですが)が建設中の様子。工事用のエレベーターが動いていたり、ビルの規模に比例して作業現場の重厚さも増しているように思われました。後に地図上で確認をすると、ライズシティ*の一角なのでしょうか。そのまま高速下の突き当たりまでいくと、つけ麺で有名な大勝軒本店がありました。この時点ではそうとわからず、池袋にあるから本店じゃね?くらいな事を言いながら通過しました。

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駅反対(日向)と駅方向(日陰)
都電雑司が谷駅*北の踏み切りまで降りてきて、道なりにうっかりそのまま西へ戻りかけたところで、同じ路線の踏切を二度わたるのはおかしいとGPSで方向の確認。目的の目白台へ向かうためにそのまましばらく都電沿いに南下をしました。ある程度降りきったところで(南下という意味だけでなく、実際にも下り坂でした)霊園の道を通ったほうが目的地に対しては直線的だと気付いた時には無駄足を踏んだ思いでした。

 雑司が谷から目白台にかけての小径はいい意味で古い東京の町並みのようで、少しノスタルジックなところに味があってよいです。道中、下水道関連のためか、マンホールをあける作業員の一団とすれ違いました。バールのようなもの(笑)で蓋をあけているようでした。

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 裏路地のようなところから不忍通りに出た直後、ちょうどすぐ左手に文京目白台二局*がありました。風景印散歩での紹介による旅の、スタート地点である局です。ここまでですでに十分長かったのですが、ようやく文学散歩の始まりです。当然ながら、この時点でだいぶ遅れをとっていたので、本来2番目による予定だった文京関口一局*へ行ってから小石川局*へ行っている時間はないということで、関口一局はいかずに3番目であった小石川局を直接目指すことにしました。

 春日通りを目指して不忍通りを東方向へ進み、護国寺前交番で一応の確認。春日通りはすでに見える範囲にあり、警察の方に示されたところを行き交う車が確認できました。それにしても、ただの交番かとおもいきや通常勤務の人以外に増員が来ており、ちょっとした物々しさがあったのでした。

 春日通りに当たり、小石川局へ向けて再度南下。しばらく進むと対面に菊池博誠堂*という剥製屋の成れの果てが目に留まりました。博誠とかいて「はくせい」と読ませるのはなるほどと感心しました。剥製という趣味そのものもですが、古い店舗なのでまだやっていればまたいい感じにレトロな趣があったのでしょうが、亡びた姿を晒しているというものもまたひとつの味があると言えます。古い物好きとしては、生きていれば生きているなりに、死んでいれば死んでいるなりに物事の風合いや味というものはあるのでどちらでもかまわないのです。剥製屋そのものの剥製のようで、これもまた因果かもしれません。

 もうしばらく(感覚としてはだいぶ、でしたが)行くと小石川局が見え、ようやく目的の2局目達成です。が、後になって見返してみると、目的とすべきは小石川五局*のほうであり、さらに4番目に行くはずだった小石川一局*への手がかりも見誤ってこちらへも行けなくなるという有様なのでした。
 
_ 曲がるべき道もわからないままに春日通りを進むうち、到頭後楽園* まで出てしまいました。手元の資料ではこのあたりで本郷の郵便局が密集しているということになっていたのでこれはこれでいいと思っていたのですが、参考にした地図は手書きのような、縮尺をとらないものだったことを大きく失念していたのでした。このため、実際には本郷の各局まではやはりまたそれなりに時間が必要になってしまいました。

 後楽園の信号(富坂下)に出る前には、特徴的なシビックセンタービル、後楽園遊園地のジェットコースターが目に入っていたのですが、それがなんだか全く認識できていなかったので二人でなんだろうといぶかしがっていました。信号にでて右を見ると、あからさまに東京ドームがあったので、なるほどここが後楽園で、あれがシビックセンターに遊園地だとすぐ連鎖的に理解したのでした。信号の向こうでは古びた感のある文京区民センターが競輪再開反対の垂れ幕をだしているのが印象的でした。

 このあたりになると時間的にはまだ日中ではあっても、ずいぶんと日が傾いて寒くなり出しました。郵便局につくたびに「屋内は暑いから外で待っている」といっていたN氏も、多少寒さを感じだしています。


 


意匠は樋口一葉
富坂下からいくらか東にいったどこかあたりに、未完成の横断歩道がありました。トマソンではないのですが、逆トマソンとでも言いましょうか、普段ありえぬ横断歩道のお化けのような姿に魅了されました。
 さんざん南下を続けつつも、本郷五局へ行くべく、今度は北上するという無駄足ぶり。もっとも、ここまでに見てきた光景を楽しんだ事を思えばまったくの無駄でもありません。文京ふるさと歴史館*を横目に小径を進みます。歴史館はむきだしの鉄骨のような玄関前が特徴的でした。当然に見ていく余裕はないので五局を目指します。途中にあった義手義足製造所も印象的です。

 歴史館を北に行ったところで、下り階段と左への細い通路があり、この二つの道の高低差になかなか驚かされたのでした。ここに来るまでも、そしてこれから後にも多くの坂を上り下りしてきたのですが、東京というものは各地名の通りにもともと凸凹の悪地だったことを(あるいは治水にとっては良地?)身をもって体験せられたのでした。階段を下った先には、目白台で見た以上の狭さの路地に出て、車が入ること能わず、密集した民家、奥行きの無い家々、ちょっとした張り紙など、より昭和的な東京というものが見えた気がしました。都会としての東京だけでなく、こういう部分もまた東京であり好きなのです。微妙に広くなったようなならないような道を行くうちに本郷五局に着いたのでした。 どうにも茶色い局ということと前後の町並みしか印象にないのですが、けして悪くないいい局でした。
 

 時間も思ったよりもおしているので、あとは東の本郷本局へ行ってそのままどこかJRの駅へ飛び込んで終わらせようと思い、また歩を進める事に。GPSで目的位置確認するも、N氏のケータイの電池はすでに切れ掛かっておりGPSを使いっぱなしというわけにもいかないので、すぐに閉じることに。最初から東へ向かえばよかったものの、少し北へあがったのが運の尽き。もはや毎度のように行き過ぎてしまい、どこをどういったのか、気付けば文京学院大の裏辺りにの袋小路に…。なんとか学校を抜けて東にある郵便局に行きたいものの、どうやら学校を迂回するほかなし。近くに幼稚園があったり、帰宅中の学童がいるなかで不審気にうろうろしてしまいましたが、なんとか反対側へ抜けることができました。途中、やたらとT字路が多く、もういっそ変形十字路でいいじゃないかというようなT字路の表示もありました。

 文京向丘局では風景印は無く、ここからまっすぐ南下すればある本郷局までは10分くらいだと言われました。 局をでて少しいったところにある、南北線東大前駅の駅名を見て、「ひがしおおまえか〜」などとつい口にだしてしまい、それを聞いてか聞かずかN氏が「東大だ〜」と行ったのを聞いて赤面。東大もわからないとか、我ながら田舎者にもほどがあると痛感せらるのでした。その後はもうずっと東大のターンといわんばかりに、進行向かって左側は東大のレンガ塀。

 本郷局について自分の郵趣の用を済ませている間、N氏はなにやらお婆さんに捕まってちょっとした人助けをしていたそうな。やるほうにとっては小さな親切にすぎませんが、受けるほうにとっては相当に大きな事態だったようです。顛末はわからないけれど、とりあえずその場は目的をはたせたようでなにより。

 そしてまだまだ東大のターンが続く道を行きながら、そのころ御茶ノ水にいるE氏との合流計画を練りながら、後楽園のある水道橋駅へと向かったのでした。合流後には直接御茶ノ水にいくのが一番スムーズだったということにはなりましたが、実際の合流は秋葉原ということになり、そのようになったのでした。すっかり日も暮れて暗くなったあとで、3人で秋葉原の店を見ての帰宅と相成ったのでした。
終わってみれば、あまり文学散歩を味わえていなかった事と、なにより思った以上に時間が足らなかった事が残念でした。
歩みの中に映る景観こそ楽しめたけれど、まだまだ歩き下手といったところです。
最後に、この前後に知った文京区本郷という地名は、名前に違わず「ふみのみやこ、ほんのさと」であると感ぜられました。

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