2010年(平成22年)2月22日 真岡・笠間2ゾロ記念

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真岡駅舎と真岡鐵道真岡線の車両


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 平成22年2月22日、2並びの日ということでエキミ氏に誘われての郵便局巡りついでの茨城行。この日の朝は体調不良に見舞われ、出発時間になってから「おなかがいたいので休みます><」と告げるも、出発時間をずらして貰いしばし体調を整えてからゆっくり目に出かけた。

 行きがけに足利南大町郵便局に寄るが、風景印はないので自分には用なし。エキミ氏は本日最初の郵便貯金の記録をつけて22並びの押印開始。栃木に入ってから特になんということもなく、11時ごろには最初の目的地である筑西市下館に到着する。ここまでの時点では、この後にさらに東へ向かって友部駅近辺に向かうはずだったが、エキミ氏が下館駅で購入予定だった真岡鉄道のやはり2並びの記念切符が売られていなかった事を発端とし、真岡鉄道に沿うように真岡方面へ向かうことになった。
 真岡市内の各郵便局には鉄道にちなんだ風景印があるということと、真岡にはこれまで行っておらず、せっかくだからいつもと違う方面(いつもは水戸・大洗方面が多いのです)に行こうということで異議はなく、むしろやってやれと煽りたててそのようになった。
 下館駅を離れつつ、駅付近の郵便局をぐるっと周るように巡ってから北上開始。お午ごろ、折本の郵便局に到着。村役場跡地の印があった気がするけれど、折本だったのか他だったのかちょっと記憶が薄い。郵便局の駐車場のフェンスには工の字が入った用地境界用の石柱が立っていた。この工はかつての工部省の所有であることを示す印であり、その後に各種省庁、国有鉄道や各JRに所管が移行するたび引き継がれてこのように今だに使われている事もあるんだとか。

 少し先に折本の駅があり、ちょうど車両が通過することもあって車にのったままで立ち寄った。Moka railwayだかなんだか書かれた市松模様の単行車両(ページ最上部の写真右に同じ)が通過していくのを見て、なにもしらずにMokaをモカと読んで、どこかの喫茶店かなにかがラッピング車両にしたのかと勝手に思い込んでいた。後に真岡駅に着いてからようやくわかったが、Mokaはモオカの事であり、ラッピング電車でもなければMochaのことでもない。
 真岡駅へ向かいつつも道中の郵便局巡りは欠かさない。道中、松林を開拓して工場用地にしたような工業団地があり、いかにも山林を切り開いたみたいなところだなという話しをしているところへ松山町の信号名が目に飛び込んできて、やっぱりという事になった。わりと広く一帯に松山はひろがっていたようで、こうして平らげてしまうとなんだかもったいないような気もするのは地元関係者ではないからだろうか。
 大谷台簡易郵便局はいかにもマンション・団地のために用意された位置にあり、かつては駐在所と半々に使われていたと思われる作りで、地域のための官庁などが集まっていたのではないかと思わせるものがある。
 さらに進路を進め、真岡郵便局もあと少しというところで懐かしのハローマックの元店舗を発見。まだ看板等は取り外されておらず、ただ少し色あせてボケた程度のために、シャッターさえ開ければなんだか営業していてもおかしくないような雰囲気でもある。ハローマックの跡地はだいたい決まって靴流通センターになってしまうので、いまだこうして店舗名を掲げたままなのはなんだか珍しくもありまた嬉しくも合った。
 ハローマックからはいくらもない距離で真岡郵便局に到着。カーナビ上では第一駐車場と第二駐車場とあるが、すでに駐車場は片方しかなかった。郵便車は地下にもぐって荷受けをするような形状の駐車場らしい。駐車場に車を停め、そこからぐるりと回ってようやくの局舎入り口。意図せず職員通用口から入りそうになってしまう。
 真岡市内の各局の風景印は、真岡鉄道にちなんで車軸とヘッドマークを掛けあわせたようにして上がSL前面、下が汽車の車輪となっている変形型の意匠。日付の入りかたも消印の上下に対して斜めにかかっているという、変形型の中でも際立って珍しい形と言える。写真は旧本局の消印であり、現ゆうゆう窓口の消印なのであるが、現本局の消印および他の局舎での消印は比較的新しく作られており、C11 325の部分を中心として全体的にもっとシャープな具合になっている。
 押印をすませたらすぐ近くの真岡駅へと向かった。
 真岡駅は駅舎がとても特徴的で、SLの形を模しており必要以上に高く大きく作られている。まさにランドマークといえる建設物である。線路の東側に駅舎があるので、西側にある線路を跨いだ陸橋から駅に入って東側の駅入り口に出ようとしたら、なんとびっくり、改札を通らずにホームに出てしまった。というか、出た先に改札口(出口)があるのでびっくり。駅員に反対側から入ってきた旨を伝えるとすんなり改札を出られたが、まさか有人駅で特別な事態でもなしに切符も入場券ももたずに改札を行き来できるとは思わなかった。ただし、実際の乗り降りの支払いは車内で行うらしいのでむしろ改札に駅員がいることのほうが驚きなのかもしれない。
 駅舎内には立体画家を名乗る某氏による、昭和初期の真岡駅のジオラマが置かれていた。非常に精巧であり、範囲は広く、ぼろさ加減がいかにも当時らしく、しきりに感嘆して角度を変えつつしばらく長めていた。アクリルケース越しであり、規模も大きいことから、写真映えもしないだろうとあえて撮影はしてこなかったが、とにかく良い作りで展示物としては申し分ない出来であった。反対側にはプラレールだかの現代駅も作られていたが、そちらはずいぶんおおざっぱな作りな上にメンテナンスも行き届いておらずに対比になるまでも無く残念であった。
 東口側の外を少し南にいった所にターンテーブルがある。昭和版ジオラマではターンテーブルはないが、かつて貨物ホームがあったあたりのようだ。現代はSLが荷を運ぶ事はなく、あとはイベント運行などで使われるだけだろう。駅前付近には病気で一部の毛が抜けて少し腫れ上がった白猫がいた。人に懐いているようなので道行く人に餌をもらったりしているのだろうが、野良猫なので手当てを受けられずにいるのは見目に可哀想である。とはいっても、自分もまたなにをしてやれるでもないのだが。
 駅に戻り再びジオラマを見てから西側へ戻ることに。駅舎内の床の一部には線路を模したところがある。来た時とは変わり、ホームに出ずに別の階段から上がって見ると、着いた先では行きにホームに出た階段とそう離れていない場所に出た。
 エキミ氏が記念切符を買えたので、あとは真岡の残る郵便局を巡ればとりあえずの目的は完遂ということになった。
 市内局のひとつ、芳賀山前郵便局では、現局舎より先に、明らかにそれとわかる旧局舎が目に飛び込んできた。最近では単純な施設老朽化のための改築に加え、郵政民営化などの影響により今風の統一的な局舎になっていくことが多く、すでに使われずに久しいとはいえ、いかにも明治〜大正期あたりの木造の局舎の形状が残っている事がとても好ましい。局舎名はすでに掛け外されていたが、逓信省当時のものと思われるレリーフが錆び付きながらもいくばくかの威厳を残して当時からの由緒を伝えるようである。現行局の扱いはだいぶ小さくなったようだが、それだけに余計に旧局舎の存在感が目立つようでもある。
 西田井局、飯貝局を最後に、真岡市内の各局を巡り終わったとして、用もなく近くの益子町へと向かった。実際には長沼局と物部局に行きそびれていたのだが、それに気付いたのは帰ってからの事。
 益子の赤羽郵便局では風景印は無かったものの、局名が局名なので郵貯の入金押印ではただ「赤羽郵便局」と入るわけがない、なにか余計な文字がつくのだろうと思っていたものの、そのまま「赤羽郵便局」とだけあったので驚かされた。大抵の場合、局名が同名である場合には消印などには、県や市などの自治体名が入ったりするものだが、調べてみたところ東京の赤羽郵便局と一字一句誤字脱字なしに同じ局名なのだった。風景印はなくとも、通常の消印くらい押してもらってくればよかったかもしれない。もしかしたら「栃木・赤羽」などと入っていたかもしれない。
 午後4時に益子郵便局着。郵貯銀行の預け入れ時間が4時までなのでぎりぎりでアウトかと思ったが、預け入れには間に合い、エキミ氏の郵貯銀行への記念貯金はここにて終了。あとは残り1時間、5時までに風景印を集めるばかりである。
 益子駅の脇を抜けて栃木-茨城の県道41号を南下して茨城は笠間へと向かった。今回の最後の目的地である。駅を出て過ぐにベンツに後ろにつかれて少々威圧されたことと、平野にいたと思っていたのに41号線の周囲の野山ぶりに変なところに紛れ込んでしまったような錯覚を覚えたことが印象深い。
 茨城県桜川市の岩瀬へと出て、さらに東へ向かって笠間へと向かった。笠間での風景印を押して、風景印収集も今日はここまで。笠間市ではここともう一局風景印を頂いたが、印の枠がツボ型となっている。このタイプは割りと他でも類似のものを見かけるので、真岡ほどには珍しくないが、焼き物の町である益子の印が通常の丸型だったことのほうがなんだか腑に落ちないものがある。
 笠間に来た理由として、蕎麦稲荷(稲荷寿司の中が酢飯ではなくソバになっている)があるからだったのだが、事前に見た情報をしっかり把握しておらずに、結局は駅前にあった無関係な食堂に入って夕食としてしまい、蕎麦いなりは食べず終い。しかも後から調べてみるに、蕎麦稲荷はあることにはあるようだが、自分が見ていた情報はただの稲荷寿司の店だったようでもある。結局いかんともしがたい結果になっただろうことがなんとも言えない。
 すでに日も暮れており、冗談でこれからさらに東の友部や水戸にいこうかという話しも出たが、さすがに遅いのと本来の目的果たしているということで素直に帰路につくことにした。あいもかわらず国道50号を戻り、いつものようにいつもの地点での寄り道を挟みつつ、日が回っての帰りとなった。



27日追記
折本駅付記の記述における村役場の件は、芳賀郡芳賀町水橋郵便局の事だった。飯貝局と赤羽局の間に立ち寄っている。同局のすぐ南隣に村役場跡を示す柱が置かれていた。また、同局は今回の旅程では最北に位置し宇都宮市までわずか3キロ足らずの場所だった。もっとも、真岡市自体が宇都宮と隣接しているので、旅程の中でここが一番宇都宮に近かったかどうかは少し怪しい。役場跡というとたいていは官庁の分室、公民館、寄り合い所などになりがちだが、ここでは更地になって局の駐車場となっている。



旧芳賀山前郵便局舎



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